新生児仮死から10年🌟長女10歳になりました。
我が家のお姉さまはあの志村けんさんと同じお誕生日で、今日無事に10歳を迎えました♬
10年も前に生まれたのか。
10年ってなんかシミジミしちゃいますね。
長男は黄疸のため、二日間ほど保育器でしたが、長女は保育器というか新生児仮死スコア6点、はじめてのお産がとんでもないものとなりました。
わたしの妊娠の経過は順調そのものでしたが、破水からはじまった微弱陣痛は長女をとても苦しめてしまい、産まれた直後の記憶がわたし自身ショックもありかけています。
気がついたときは泣いていた、とにかく泣いていました。
はじめての対面はNICUという部屋でした。
はじめの説明で医師より、最悪、知的障害が残るかもしれませんと言われました。
何が何だかわかりません、他にも何か言われたのかもしれないけど覚えていません。
お産が命がけだとこのときに本当に思いました。
長女は幸い大きな体のお陰でみるみる回復して、2週間かからずに無事に退院できました。これは本当に奇跡です。
最後に脳波の検査をしますと言われました。
その結果次第では退院が長引くと言われていたので毎日祈るばかりで
自分がお産したばかりなのに、長女のために毎日日赤まで自分で運転して、母乳を届けていました。
そうしないと、娘が助からない気がしたんです。
わたしが頑張らないとって。
誰にも頼みたくなくて自分で毎日面会にもいきました。
看護師に沢山写真撮ってねとか、あのときはそんなの嫌で嫌で。
嫌というか悲しくて誰にも言えなかった。
まわりのママさんが当たり前に赤ちゃんを抱く姿がつらくてつらくて。
今になっては撮っておけばよかったな、って思うけど初産でこんな事態で気が動転してしまいとてもとても無理でした。
うちの父親がNICUのナースに頼んでギリギリまで保育器を窓際まで運んでもらって写真をとっていたらしいですが、いまだに見たくなくて。
友達にはどうして写真みせてくれないの?とか会えないの?とかたくさん心配してくれました。
でも私は嘘ついてちょっと疲れちゃってとか適当に言ってたっけ。
親には毎日泣いて泣いて話していたのは覚えてる。
あのときほど辛いことはなかったと今でも思います。
あのときの話を娘にできるようになり、娘は幸い何の障害も残らず身体も心もとても健康に育ちました。
何か障害がでたら私のせいだとずっとずっと考えていた。
いまでも、忘れない。
それは違うよと言われても、わたしのせいだとずっとずっと考えて。
考えてても仕方ないと、いつ何があっても娘を支えられるようにわたしは誓いました。
わたしはこの経験から、福祉の世界に足を踏み込みました。娘のために勉強をはじめました。
中途半端が嫌で色々な力を借りて学校にも通い、とにかく学びました。実習も半端なく頑張りました。
当時は一ヶ月施設実習とかいい経験になりました^^
欠席が許されなかったので支えてくれた両親にも感謝しています。
きっかけをくれた娘には本当に感謝です。
いまだ私をナースと思い込むママ友もいますが、ありがたーく^^
違うよ〰って小さい声でいってます。うれしくて。
そんな娘10歳になりました。
娘が大好きなものでお祝いしました。
お友達と楽しく夕飯💕
長男も頑張りました♬
パパからお誕生日プレゼントは任天堂Switchのマインクラフト。
おばあちゃんからお小遣いをいただきました。
わたしから(^^)
お友達からもマグカップやお財布、タオルいただきました。
ご飯食べにきてくれたお友達はいつもなんだけどコストコのチョコ🍫
コストコ好きママなんで👩
ハロウィンのときは馬鹿でかいきのこの山の小分けされた箱くれて、笑えた(^^)
みんなから愛されてるよ。
娘、ありがとう😊
子供がわからないのではなく、自身が努力して、わかろうとすればするほど繋がれるとわたしはそう思います。